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通知票
通知票は、教育の成果や結果を保護者に通知するためにあります。学校独自の様式で、 絶対評価のしかたもそれぞれの学校の裁量に委ねられています。最近はパソコンが普及し、校内LANを使って、各担当で入力したデータを集約して、一個人の「通知票」が完成します。もちろん、どのデータも複数の教師によって、複数回の吟味検討後に配付されます。
学級担任は所見欄を担当しますが、1学期間の様々な生徒観察データや面談、生徒の自己評価などを参考にコメントを書きますが、学校によっては、その規準が示されなまま担任の仕事として位置づけられている場合があり、担任によって、保護者や生徒に「通知」する内容の質が、まったく異なってしまう場合があります。検閲も誤字脱字の修正に留まりがちで、コメントの内容まではチェックされません。また、決められた字数があり、本人の良かった点や向上した点、指導したい点や願望などをすべて書くことは不可能です。そのため、担任はけっこう苦心します。所見欄が狭いほど現実を通知することが難しくなります。
教科の観点別評価と評定は、観点別ごとのA,B,Cの個数で評定が決められます。これも学校裁量ですが、だいたいどの学校も同じようになっています。(例:AAAA=5、AAAB=4…)
その観点別のA,B,Cですが、そのつけ方がある意味相対的です。絶対評価は、ここまで出来ていれば5、という具合に決められますが、「ここまで」(基準)はすべて数値化するため、その数値を操作することによって、ボーダーに近い持ち点の生徒は簡単に評価は変わります。(例:A→BやB→Aなど)ここで、指導内容に照らし合わせ、ここまではできてほしいという教師の感覚で設定した基準数値があっても、生徒集団の出来によって、Aが少なすぎたり多すぎた場合は、この基準はやむなく操作せざるを得ません。ここが相対的な判断ですし、この操作は日常茶飯事的に行われているのが現状です。
受け取る側の生徒や保護者は自分の評価しか目の当たりにしないため、この相対的な操作は一切おもてに出ず分かりません。また、評価の規準や評価の仕方はあまり詳しく公表されません。どの学校も何をもとに評価したか(評価資料)を教科ごとに別紙で配布する程度ですが、評価方法の詳細まで追求する生徒や保護者はごく稀でしょう。
つまり、「通知票」に書かれた内容は、一応の「連絡」であって、そんなに重要視しなくてもよいということです。評定が1段階あがったら嬉しいでしょうが、どこの部分がどう良くなったかの詳細は、評価した教師にも本人にも分かりません。案外、Aが少なすぎたため、操作によってたまたま救われたA評価だったのかもしれません。絶対評価は、実際問題、全然「絶対」ではありません。学校によっても教師によっても変わるからです。
重要なのは、通知票の評価(評定の数字、A,B,C,所見のコメントも)ではなく、日ごろの学校生活全般、授業や友達や教師とのかかわり、瞬時瞬時の他人からの評価や指導全般があなたの成長そのものになっているということです。頑張ったところの実践によって自分に身についていることがらが知らず知らずのうちに小さな「生きる力」として備蓄されています。
どうか評定・評価にこだわりすぎず、自分自身の現実と向き合って、自分の本質そのものを高めていけるように、前向きに生活してほしいと思います。そして、より具体的な自分の「どうしたいか」「どこをねらって頑張るか」「何を目指すか」を模索し続けてほしいと思います。
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